イントロダクション

「人生のプレイボール」全ての人への応援歌

 1000人を越えるオーデションから選んだ12名の子供たちは殆ど無名に近い。彼らを選んだ基準は、まず野球の経験。次に純真な個性。そして、映画に出たいと言う意欲や情熱だった。僕には、お芝居よりも何よりも、東陽リトルと名付けたこのチームが、リトルの野球チームとして、真直ぐに育ってもらいたいと言う願いが出発点だった。それは野球の技術ではない。リトルリーグの精神の中にある「何か大切な事を見つけよう」と言うべきものだったかも知れない。僕自身もリトルリーグの中に「Something Great」を探しながら監督を努めさせてもらった。映画はフィクションではあるが、野球のシーンはそういった意味では、12名の子供たちの成長の過程のように思える。

 米国ペンシルバニア州にあるウィリアムスポートで毎年8月に開催される「リトルリーグのワールドシリーズ」を目指す子供たちの話は、日本中のリトルリーグの子供たちの夢であることは間違いない。映画『僕たちのプレイボール』写真映画に出演した子供たちにも「同じ夢」を持ってもらいたかった。演出部や制作部、脚本家まで参加して、夏休み以降、合宿を含めたチーム作りが本格的にスタートした。役名も、ポジションも打順も決めないまま、子供たちは不安だったかも知れないが、ひたむきに野球に取り組んだ。視点を変えればサバイバルゲームだった。主役の球児以外、残りの11名を決めたのは、アメリカロケが始まる直前だった。子供たちは毎日の出来事や気持ちを日記にし、それをスタッフが読み、叱咤激励の返事をしていた。この事は、映画の制作現場では大きなチームワークになってもどって来た。「チームワーク」「信頼感」「達成感」「最後までやり抜く」「仲間への思いやり」、この映画の中で語られている事は、何も特別な事ではない。映画の制作現場でも同じだし、僕たち、人の生活の中にも普通にあることで、それが今の時代には欠けているように思えてならないのは悲しい。

 「僕たちのプレイボール」は敢えて言えば、もういちど「人生のプレイボール」を宣言しようとする人々への応援歌になって欲しいと願ったりもしている。

監督 三村順一

チョッピリ泣けて元気が出るエンタテインメント映画

 2005年、日本の総人口は戦後初めて自然減少し、少子化社会に突入しました。これらの変化は教育やスポーツにも深刻な影響を及ぼしています。

 そのような背景の中、Jリーグの発足やサッカー・ワールドカップの世界的な盛り上がりなどにより、少年サッカーの競技人口が増加してきた一方で、少年野球の競技人口は減少し続け、試合に必要な選手数(最低9人)さえ集まらずにチーム自体が成り立たなくなるという事態が続出しています。

 日本の少年野球の世界には、アメリカの少年野球が硬式のみであるのと違い、硬式野と軟式野球の両方が存在します。リトルリーグはアメリカに国際本部を置く世界組織となっており、世界の少年野球の原点として、少年野球の世界的普及の原動力となっています。そしてリトルリーグの運営管理は世界中のボランティアの皆様に支えられています。
現在、日本人大リーガーは開幕選手で13名おり、WBCでは2006年に王監督が日本チーム優勝に導き、今年は原監督率いる「サムライジャパン」が第二回目の優勝を果たして、野球少年たちに明るく・楽しいニュースを提供しております。この絶好のタイミングで子供達に、本映画を通してサッカーに負けない少年野球の魅力や楽しさを強くアピールし、少年野球の人気向上と競技人口の増加を目指すとともに、子供達に友達の大切さ、友達と外で遊ぶ事の楽しさに気づかせ、現代における陰湿な『いじめ』や少年犯罪を防止する一助となりたいと思っております。

 映画『僕たちのプレイボール』写真母として、妻として、ベースボール・プレイヤーである父子の一番のファン・理解者として、陰日向となりながら家族を支えていくお母さん、父であり夫でありながらも野球一筋で、人生の全てを野球に捧げてきたがゆえに、不器用な愛情表現しかできないお父さん、そしてメジャーリーガーとして活躍するもののやがて現役を引退していくお父さんの背中を見ながら育ち、自らも少年野球を通じて自立・成長していく少年がこの物語の主人公です。そんな家族の物語でもあるこの映画は、国際化社会と言われながらも個々人の関係が希薄になりつつある時代の流れの中で、多くの人に愛、勇気、喜び、希望、感動、気概を与え、人と関わることや自分以外の他者と一緒に何かを成し遂げることの素晴らしさを伝えられる、ヒューマニズム溢れる野球映画として描かれます。

 家族と共にアメリカへと渡った主人公の少年は、現地の少年ともまた野球を通じて心を通わせます。その後それぞれの住む場所が変わっても二人は常に連絡を取りあい、時には悩みを打ち明け励まし合い、切磋琢磨しながら夢を叶えようと努力を続けます。国籍も人種も、国境さえも越えて、二人の友情は揺らぐことなく続いていくのです。

 世界大会のあるリトルリーグで野球を続けていたからこそ、二人の少年は世界の舞台で再会を果たします。再会に至るまでの二人の少年の人生はドラマで溢れています。「僕たちのプレイボール」は、チョッピリ泣けて、大いに元気の出る、そして老若男女誰もが楽しめる「エンタテインメント映画」になる事を確信しています。

製作 飯原伴光

エグゼクティブ・プロデューサー 新庄剛志

 プロ野球を引退してから、自分の気持ちが再び野球に向くまでは野球の仕事は受けない、 と心に決めていた僕は、子供たちと野球をすれば、野球をはじめた頃の自分の気持ちを思 い出せるかな?と思い、初めて野球の仕事を引き受けました。

 引退から3年が経った2009年の春のことでした。

 映画の仕事もプロデューサー業も初めてだった僕をあたたかく迎えてくれたのは、12人 の(小さな)チームメイトとスタッフの皆さんでした。東陽リトルの彼らが楽しそうに野 球をする光景は、野球から遠ざかっていた僕の心に「プレイボール!」をかけてくれまし た。そして気づけば、朝から夕暮れまで、子供の頃のようにグラウンドで時間を過ごして いました。それは17年間、野球を職業としていた僕にとって、忘れかけていた大切な感覚 でした。

 撮影中は、多くのスタッフや裏方さんが情熱的に映画作りに携わっている場面を何度も 目にしました。今まで映画とは観るだけのものでしたが、作る側に立つと、これほど多く の方々によってひとつの作品が仕上がっていくことを学びました。この作品が完成を迎え たのは、多くの方々のご協力があってこそ。皆さん、本当におつかれさまでした。

 撮影の合間に交わした、映画監督の三村さんとの会話は印象的でした。「お金や時間が あったら、何をしますか?」と聞いたとき、監督はきっぱり「お金や時間があったら、大 好きな映画を撮る」と言いました。三村さんは、とてもいい表情をしていました。

 素敵な仲間と過ごしたひと夏の時間は、僕に野球の大切さを思い出させてくれました。 この映画をご覧の方々に、野球の輪が、そして仲間との友情が広がっていくことを祈って います。僕の心に「プレイボール!」をかけてくれた球児たち12人の子供やスタッフとの 出会いに感謝です。

新庄剛志